ふむ...

やおういかんのぅ

 日露戦と猫

日露戦争の真っ最中、漱石は「吾輩は猫である」を書いていた。漱石の年譜を見ると、1904年の12月、高浜虚子が「山会」で最初の原稿を朗読したと書いてある。「ホトトギス」に掲載されて世に出たのが翌月、1905年の1月とのこと。

結局、1906年8月の「ホトトギス」で完結する。


日露開戦から終戦、そして戦後という激動の期間、漱石は「猫」に関わっていたのだから、「猫」の中に時代に対する感想や世相批判も当然現れるだろうと思われる。

ところが、「猫」の中にそれほど大きく戦争の話が出てくる訳ではない。むしろ、戦争のことなど忘れられているのではないかと思われるほど、話題は猫と主人の個人的な世界から離れることがない。

漱石先生はどんな思いで日露戦争を眺めていたのだろうか?


さて、「坂の上の雲」の最終回、漱石先生が登上した。歴史の分かれ目を画する大戦争のドラマが終わろうとするところで、明治の文豪の登上なのだが、漱石先生は何を語るか?


大いに期待をしてテレビを見ていたが、いささか拍子抜けだった。登上したのは良いが、何を言おうとしているのか、どうもよく分からない。漱石は何を言っているのか、その言葉の真意はどこにあるのか、甚だ曖昧模糊としていて、後で「この場面は何だったのか?」と首を捻るほどだった。

「結局、軍人たちに頼らざるをえないのだな……」というようなことを言ってお茶を濁す漱石先生は、どうも印象は良くなかった。本当に漱石は当時はそうだったのか。あのように煮えきれない、妙に自信のない男だったのか。


これまで抱いていた感じと違ったので、多少戸惑ったものである。が、まぁ、そうした漱石も一面では真実だったのかも知れないという気もしないことはない。


日露戦 猫には猫の 憂いあり