ふむ...

やおういかんのぅ

忘れていた!

まぁ、こういうこともある。とにかく多忙だった。

あれこれと用事をすます。ただそれだけで時間が過ぎてゆく。さて、その意味は? などと考えてみるゆとりはなかったのだ。いま、ようやくここに戻ってきた!

何のこともなかった!

結局、あまり成果はなかったようだ。何かは残ったような気はするが、目に見えるほどのものでもない。かすかに感じるぐらいだ。

 

 

邪馬台国①

邪馬台国については諸説ある。いろいろな見方があり、現在に至っても真相を言い当てた人はいないらしい。だから、例えば、こんなことを言う人もいる。以下、ちょっと耳を傾けてみよう。……

Aさん曰く:

邪馬台国は、面倒くさいから、無かったことにしよう」

大和朝廷の人々はこう決めたのだろう。以後、自分たちの正当性を確固たるものにするために、彼らは絶対的な「神話」を持ち出し、また「神話」を捏造する。

この「神話」の中に絶対に卑弥呼の卑の字も入れてはならないぞ!

と、まあこんな具合ではなかったのか?

なぜ、彼らにとって、卑弥呼はそこまで「不都合な真実」だったのか、その辺がよく分からないのだが……。

空間について考えた結果

睡眠不足で寝ぼけ頭、そんなときはどうも奇妙奇天烈なことを考えてしまいますね。

この「果てしない宇宙空間」の「外側」はどうなっているのだろうか?

「宇宙空間」の「外側」に、またもう一つ別の空間が存在して、その大きな空間がわれわれの空間を包みこんでいるのだろうか?

では、その「空間の外の空間」はどんな風になっているのだろう?

などなど……。

頭が疲れていると、変なことを考えるものですが、それにしても何という愚問でしょう!!

段ボールの箱ではないのだから、箱の外、つまり宇宙空間の外に何かがあるとか、ちょっとその外に出てみるとか、あり得ない話ですね。

まぁ、われわれの身の回りのものはたいてい「中」とか「内側」があれば、必ずその「外」が存在します。

「カバンの中から手帳を、外に取り出す」とか「家の中にばかり居ないで、外に出てみよう」などと言いますから、「中」があれば、必ず「外」があるという思考の習慣が身に染みついてしまっています。それで、つい「宇宙の外」などと考えてしまうのでしょうが……。

「中」はあっても「外」はない。「宇宙空間の外側」なるものは、たしかに言葉では言えますが、そもそもそんなものは論理的に考えることが出来ないのですね。宇宙空間そのものが、イコール、何かある境界線で囲まれた物質の「外」のことなのですから。

「外」の「外」の、そのまた「外」などと言っていたら、いよいよ頭がおかしくなってきたと考えていいのでしょうね。<完>

 地球の「大気圏の外側」は存在します。まさに「宇宙空間」と呼ばれるものです。さて、ではその「外側」は?

答えられるのは、宗教の立場からぐらいでしょうか。

宗教では、普通の言語生活で使う「在る」とか「空間」とかの概念がすでに比喩として使われているにように見えますね。

「在る」というのは「無い」と同じであるとか、宗教の人たちはそう言ったりします……。
つまり、宗教の世界では、普遍的な証明が不可能な個人的な直観で話が進んでゆくと言えるでしょう。

ちらりと乃木希典が写る(メモ)

 昨晩の大河ドラマ「いだてん 韋駄天」に乃木将軍がちらりと登場したおかげで、「ああ、ドラマの中はそういう時代だったのか」と、歴史の中での位置づけの意味で、イメージがつかみやすくなった気がします。

それまでは、いったいいつの時代なのか、どんな状況なのか、どうも今一つピンときませんでしたが。

ちょうど明治が終わる年、1912年を、昨晩はやっていたのですね。

そろそろストックホルムに向けて出発をしようかというところですから、1912年の春、3月か4月ころなのでしょうね。

1912年、ふむ……、世界では、第一次世界大戦の前夜とも呼べそうな時代で、日本では明治が45年で終わり、大正が始まろうとしているわけだ。

それからほぼ20年を経て、昭和6年(1931年)の作だそうですが、

降る雪や明治は遠くなりにけり

という俳句があります。一つのまとまったイメージで明治時代をつかもうとしています。「降る」には「古い」とか「時が経(フ)る」という意味が掛かっているのでしょうね。

――ああ、「降る雪」と言えば、時もまた雪のように「経りて積もる」のかなぁ……などと、想いが伴奏のように湧いてきます――

一つの時代としてのイメージが、もうこの頃出来上がりつつあるのでしょう。

「明治」のイメージに、「いだてん」がちょっと加わって、細部の輪郭がなんとなく鮮やかになったような気がしますね。