ふむ...

やおういかんのぅ

 桑の木

バスを降りて歩いていると、ビルの一角に花屋があった。
遠くからそれと分かるのは、店の前にアジサイの鉢がいくつも出ていて、紫や赤、白や青のアジサイが山盛りの様子で並んでいたからだ。
ビルの横は日陰になっていたので、そこを歩くことにして、ついでにアジサイでも見て行こう決めた。

花屋に近づくと、アジサイとは別の側に、大きな鉢が二つ出ていて、それには背丈が1メートルぐらいの細い木がそれぞれ植えてあった。四方八方に枝を気持ちよく伸ばして、緑の葉もたっぷりつけている。いくつかの枝にはところどころ、赤い実が3つか4つずつ見える。小さな粒が集まって1つの実をなしていて、ちょうど人差し指の先ぐらいの大きさだ。中にはまだ白いもの、薄い黄色のものも雑じっている。これは全然熟れていないのだ。

「何の木だろう?」と思いながらも、アジサイを見ればよいのだから、その木の傍はさっさと通り過ぎようとした。そのとき、ちらっと名札のような説明書きの紙片が、あまり太くもない幹に貼り付けてあった。その上に「蚕」の字が一瞬見えた。

「何? 蚕? かいこ? 蚕の木……? それはないだろう、しかし、待てよ、蚕、蚕、蚕……」 こんなことを考えていたら、思いだした。これは、「桑の木」ではないのか?

果たしてそうだった。名札には「蚕が食べる桑の木の葉」といった説明があった。名札の上には「売約済み」の紙も貼ってあった。そうか、これが桑の木で、そうすると、その赤いのが桑の実だ!

写真で何度か見たことがあった。しかし、実物を見るのはこれが初めてだった。小さな感動が、確かにある。そうか、そうか、これが「桑」なのか!

「桑田」という名前はよくあるが、この「桑」が植えてある「桑畑」のような意味なのだろう。まず、思いついたのは、そんなことだ。その次に、昔読んだ「桑の実」という小説を思いだした。そうだ、そうだ、「桑の木を見てみたい、桑の実を食べてみたい」としきりに思ったのは、この小説のせいだったのだ。

Amazon.co.jp: 桑の実 (岩波文庫): 鈴木 三重吉: 本

(土曜日)はれ→くもり