ふむ...

やおういかんのぅ

 漱石の弔い

漱石の没年がなかなか覚えられない。
明治の文豪と呼ばれるぐらいだから、明治年間に没とつい思ってしまうが、実は1916年、大正5年が没年だ。

それはそうだろう。明治天皇の死に衝撃を受けたと言われる漱石、ということは、明治年間に死去ということはありえない。明治の45年が終わるのを、漱石は生きて完全に見納めた。

1916年といえば第一次世界大戦中だ。その後、戦争が終わってヴェルサイユ条約が結ばれるのが1919年。
「行く行く(1919)パリのヴェルサイユ」この語呂合わせは良く出来ている。死んでも忘れない。

漱石の没年も語呂合わせで覚えようと、色々試みたのだが、失敗の連続だった。

しかし、どうやらやっと上手く出来たのかもしれない。最近はコレが折りに触れて口に出るようになった。成功したのか?

1916の1900を飛ばして、16だけを覚える。すなわち、「漱石の弔い」、「とむらい」の「とむ」に「16」を無理矢理忍び込ませる。
これが今のところ成功している。

この「漱石の弔い」をひねり出したとき、ついでに森鴎外の没年も一緒に覚えようと、上手い語呂はないか考えてみたが、考えあぐねた。1922年、漱石没後6年、これをどうするか。

1922年は関東大震災の前年に当たる。鴎外は一年違いで大震災を経験しなかった。

さて、なかなかアイデアが浮かばない。22は厄介だ。結局、鴎外が怒っていることにした。「鴎外ぷんぷん(22)」、なぜ怒っているのかは知らない。

漱石の弔い、鴎外ぷんぷん」

こうして二人並べると、漱石の葬式に参列した鴎外が怒っているように見える。しかし、現実はまったくその逆で、葬儀会場の鴎外の姿は居合わせた人々に感銘を与えたらしい。
この点は要注意だな。