カバーのイラストが気に入ったので、本を買ったようなものだ。
昔風の和室。外は小春日和だろうか。
火鉢が出ているので、夏ではないだろう。
春先かもしれない。
真冬ではないだろう、窓の外に緑が見える。
磨りガラスで外からの光を抑えている。
一部が透明ガラスになっていて、ここから外を眺めるという趣向か。
机の周りが、すっきりと、よく片付いている。
乱雑に本やノートが散らかっていない。
こういう時は、頭の中も曇ったり、濁ったりしていないだろう。
自由な、面白い構想がいろいろと湧いてきそうだ。
「文鳥」の原稿は、こんな部屋で書かれたのだろうか?
漱石は「文鳥」を、のんびりした気分で、気持ちよく書き始めたのだろう。
鈴木三重吉があまりうるさく「飼え、飼え」というので、ちょっと興味が湧かないでもない。
実際とうとう三重吉が一羽もってきて、飼うことになるが、飼ってみると意外にこれが面白い。
ちょっとした仕草でも、観察すると、新しい発見をする。それが楽しい。
作品の前半はこんな感じである。
のどかな日常の風景が目に見えるようだ。
読んでいて、こちらも気分がよい。
「うまいなぁ、さすが漱石だなぁ……」
後半はちょっと残念。
ゆったり構えているといった感じがだんだん失くなって、
妙に先へ、先へと急いでいる。
急いだ先に何か本当に書きたいことが待っているかと見れば、
実はそうでもなさそうだ。
むしろ余り書きたくないものが控えているので、
それならいっそ、さっさとそこまで行って、早く片付けよう、
早々に片付けてそれでおしまいにしたいものだと、
何かそんなムードが行間に漂う……。
では「余り書きたくない」こととは何か。
ペットの文鳥を自分の不注意で死なせてしまったこと、
その責任を人になすりつけたこと、
そして、そういう自分に嫌気がさしていることだ。
たとえ嫌なことでも書かなくてはならない。
しかし、感情のわだかまりがまだあって、こころは穏やかではない。
後半こんな影がさそうとは、想像もしなかった。
(木曜日)台風が通り過ぎたあとの晴天 <旧ブログから>
*カバーイラストは by わたせせいぞう
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