ふむ...

やおういかんのぅ

現在はラーメン店


長崎の繁華街、銅座の「三八ラーメン本店」。まったく普通のラーメン店なのだが、明治時代、ここはシーボルトの娘、「おらんだおイネ」さんが産科医を開業していたところだった。
先日、市の観光パンフレットにそう書いてあったのを見て、やって来た。もちろん今、その面影は全然ないのだが、それはまぁ、もう150年ぐらい昔の話だから無理もない。


「ここは昔オランダおイネさんが医院を開業していた場所だと聞いたんですが」
「ええ、そうです。ここなんですよ」
と美人の女店主がラーメンのスープをかき混ぜながら答えてくれた。
「前の道はもっと狭かったんですよ、車が走っていなかったから。だから、この家も昔はもっとずっと向こうの外まであったそうなんです」
「ああ、そうでしょうね、そんな感じがします」
「おとどしのアジサイ祭りのときは、市の観光関係の人がこの店の前にもずうっとアジサイの花を飾ってくれたりしたんですよ」

美人店主は愛想よくいろいろな話をして、さすがに観光の町長崎の人らしい。
550円の普通のラーメンをすすりながら、楽しい時を過ごした。

おイネさんのことをもう少し正確に書いておこう。
イネが東京から再び長崎に戻ってきたのは、ちょうど西南戦争が始まった年、1877年(明治10年)のことだ。それまで東京の築地で産科医として活躍していたのだが、老後は故郷でという思いから戻ってきた。イネは1827年生まれだからちょうど50歳の年のことだった。
イネは60歳を過ぎてまた東京へ行く。1899年(明治22年)のことである。したがってざっと10年間、銅座のこの場所で産科医をしていたことになる。



この銅座の通りは出島のすぐ近くでもある。



http://www.nmhc.jp/keiga01/ ←参考資料、長崎の絵師・川原慶賀の描く出島など