ふむ...

やおういかんのぅ

名前

名前を付けて呼ぶこと、それはきわめて重要なことでしょうね。

何か得体の知れない「もの」に出会ったとき、それが一体何であったか、呼び名、名前が無いことには何も始まらないだろう。「お化けのようなもの」とか、「幽霊らしきもの」というような大まかな、曖昧な言い方、まぁ「窮余の一策」に頼ることもあるが、しかし「のようなもの」では実は余り意味がない。怒るにせよ、嘆くにせよ、何を対象にそうしているかを確かに知らないことには、真に怒ることも嘆くことも出来ないように思われる。

残念ながら、人間はまだまだ森羅万象に一々名前を付けることが出来ていない。しかし、摩訶不思議な一々のものすべてに、具体的に的確に名前を与えることなど不可能であろう。要するに、我々人間は余りにも多くの「よく分からないもの」に取り囲まれているのである。

釈迦が「煩悩」という名前を付けて呼んだもの、19世紀後半フロイトが「エス es」とか「無意識」と呼んだもの、それらは確かに「名前」を与えられたのではあるが、概念の境界線が明確になっているかというと、そうでもなさそうだ。我々は「煩悩のようなもの」とか「無意識的なもの」などと呼んでお茶を濁していることが多い。

疫病の世界規模での流行、これを「パンデミック」と呼ぶのだと、最近知って、覚えたのだが、名前を付けられて、そう呼ばれることで、我々は多少なりとも何と戦っているか、戦う相手の輪郭が見えた気がしてくる。もしこれが、「何とも分からないもの」だったら不安で仕方がなかっただろう。

自爆テロ」という呼び名も、おそらく「窮余の一策」的に名前が付けられたのだろう。自爆しつつ、社会を攻撃するという方法、もしこれに呼び名が無かったら、やはり社会はもっと恐れを抱くことになっただろう。

最近の事件では、大阪のクリニックでの自爆的放火殺人が社会に何とも大きな衝撃を与えた。心の病を治療する現場での心の病の暴発とでも呼べばいいのだろうか?

「煩悩」とか「エス」という言葉が思い浮かびはするが、何かその概念だけでは十分解明することが出来ないような気がする。まさに不安な、不気味な、空恐ろしい、そして痛ましい事件であるが、はたしてこれを何と呼ぶか、なかなか名前は付かないかも知れない。

第七の波?

オミクロン、やっぱり来ましたね!

12月末、東京で感染者がゼロの日があるかな、と思っていたけれども、そんなことは起こりませんでした。

まったく逆の現象です。第五波が終結して感染者数がゼロになるどころか、オミクロンが一気に来ました。案の定ですね。第六波という奴が始まろうとしています。

さて、第五波のときは第六波のことを予想していたけれども、そうすると今はもう、第七の波のこともちょっと頭に入れよ、ということなのか?

誰だよ、このおっさんは?

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今晩は!

別に怪しいものじゃないよ。まぁ、こうしてパソコンの前に座っていると、コロナに感染するリスクは無かろうか、などと考えています。

しかし、しばらくブログを書いたりしなかったので、どのように使うのだったか忘れたようですな❣ …… 

コロナ禍や街に五月の雨が降る ☂